家づくりの思い

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家づくりの思い

 

我々、共栄ホームズの考える「家づくり」
すべての人に賛同して頂けないことも理解したうえでお話しします。
それでも家づくりを行う者として皆様に伝えたいことがあります。
2つの実体験をもとにお話ししたいと思います。

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私の実家が新築されたのは、まだ小学生のころでした。もちろん、家が新しくなるのは、子どもながら素直に嬉しかったのを覚えております。反面、不安にもなりました。こんなに大きな家を建てたなら、きっと多くの費用がかかったのだろう。両親が苦しむのではないだろうか。いままで春夏秋冬と年4回の楽しい家族旅行へも、行けなくなってしまうのではないだろうか。毎年の誕生プレゼントも、欲しいものが買ってもらえないのではないだろうか。
新築の喜びよりも、「そっち」の心配が大きかったことを覚えています。「そっち」とは、幸せな家庭の崩壊のことです。大きくて良質な家を建てるために、無理に過度な住宅ローンを組んだため、家庭より仕事が最優先になる。あげくの果てに、体を壊してしまう。「家は新しいけど、昔の方が幸せだった」ということになりかねません。
そうなる前に、いま一度「家づくり」とは何かを考えてください。最近よく耳にする「良い子が育つ家」「頭のいい子が育つ間取り」。もちろん、そういったことも大切でしょうが、「幸せな家づくり」の前提には、「幸せな家族の姿」があるのではないでしょうか。
共栄ホームズの「家づくり」のスタートラインには、いつも「幸せな家庭」があります。

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私が、社会生活に出てしばらく。二十代の出来事です。重い腎臓病にかかり、4ヶ月の入院を強いられました。この病に蝕まれるまでは、まったく建築とは無縁の職業に就いておりました。簡単に4ヶ月の入院と思われるかもしれません。でも私にとっては、今まで自由に行きたい所に行き、やりたいことが出来た生活が一変したのです。それも、いつ回復するかわからない中、検査と治療が続く非常に苦しい毎日でした。
このような生活の中で、「病気が悪化してもいいから、家に帰りたい」と心から思ったものです。もちろん、主治医の許可は出ません。入院してから3ヶ月が経過したころ、はじめて外出許可が出ました。以前のような不自由のない体ではなく、ロクに階段も登れない状態です。
そのときの経験こそが、私を家づくりの道へと導く一歩だったように思います。病院でいくら観ても笑えなかったテレビが、家だと心から笑い楽しめました。食事も病院で食べるより何倍も美味しく感じ、家族との他愛もない会話も家だとこれほど楽しく弾むものかと実感しました。一時帰宅のひとときが、あっという間に過ぎていったものです。いままで当たり前に暮らしていた「家」が、自分にとっての安らぎの楽園であったのだと身を持って知らされました。
入院中の相部屋の皆さんも、「早く家に帰れるように、元気になろう」と頑張っていらっしゃいました。退院されるときの皆さんの笑顔は、いまでも忘れられません。
病院は、確かに機能的かもしれません。ただ機能や性能だけでは、真の安らぎを得ることは出来ません。
こうした「家」に対する強い感謝や想いが、私が家づくりに関わる基本になっています。

今から建築する建物を『Neo』の技術で住みやすく快適にする。
では人はどうだろう。
人は一体どのような事で幸せを感じるだろうか。
この「幸せ」という感情、これは昔の人、今の人、何ら変わらない。
『Classic』は、「子供が生まれた幸せ」、「家族で笑顔で過ごせる幸せ」
そんな、昔から変わらない人の心。
『Neo』なだけの家づくり、機能、性能は良いですが、何か欠けていると感じませんか?
幸せな「人」がいるから幸せな「家」がある。

Neo&Classic 共栄ホームズ

Neo(ギリシア語で近代的、最新という意)
Classic(伝統的、古典的という意)

富山共栄新聞

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